Naka Akira — 奈加あきら インタビュー

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The English version of this interview has been up here for quite some years.

Today we share with you the Japanese version.

English version follows the Japanese version below.

奈加あきら インタビュー

2006年4月24日、長田スティーブは現在東京で活動する若い縄師のひとり奈加あきら氏にインタビューする栄誉を授かった。

長田スティーブ:初めて縛りに興味を持ったきっかけを教えて頂けますか?

奈加あきら:人生には必ず分岐点が訪れると言いますが、私にはそれが二度ありました。最初のそれは私が30歳頃の時で、映像作品の為のモデルや女優を紹介する、プロダクション会社を経営している時でした。女優の一人が、SMビデオ制作で有名なシネマジックで仕事があり、私もたまたまその撮影に同席していました。実は私は、ずっと自分はSMには興味が無いと思っていたのですが、その瞬間、今までの人生でずっと、私は自信の支配欲を否定し続けていた事を悟ったのです。女性を縛ったり叩いたり、熱い蝋燭をかけたりしたがるなんて、一体どんな酷い奴がそんな事をしたがるんだ?って。

その考えを180度ひっくり返してしまう程の、印象的な撮影だった訳ですね。

ええ。その時見た縛りというものに、完全に息を奪われてしまいました。そしてその日その縛りを行っていたのが、濡木痴夢男先生だったのです。

その日濡木先生の縛りを見た事が縄師になるきっかけだったのですか?

 

いいえ、自分自身にそんな事ができるなんて、決して思ってもみませんでしたし、まさか縛りが自分の仕事になるなんて、想像すらしませんでした。ですが濡木先生は、そのビデオ撮影での私の異常な程の興奮に気がつき、彼が主催する緊縛サークル”緊美研”に誘って下さったのです。それから五年間はずっとその緊美研に通いました。

奈加さんは緊美研のより深い関係者であったという事ですね?濡木先生の正式な弟子にはならなかったのですか?

濡木先生が正式に弟子と認識されているのは、私一人だと思います。

その関係についてお聞かせ願えますか?

濡木先生からは形式的な緊縛の師事を受けていたのですか?

 

いいえ。私たちの関係はいわゆる日本の伝統的な師弟関係で、濡木先生は私に何も教えませんでした。私が濡木先生からは、その縛りを学ぶ上で勿論非常に効果的ま方法です。

奈加さんには自身にも二人弟子がいらっしゃいますね。お一人は今同席されていますが。彼らとも、濡木先生は同じような師弟関係なのですか?

 

弟子達が危険に及びそうな間違いをした場合にはそれを改めますが、基本的には私も先生も同じ、伝統的な師弟関係をとっています。弟子が何かしら知識を得たければ、それを”盗まなければならない”のです。師がそれをただ手渡すという事はしません。この師弟関係は、それが伝統工芸であろうと料理法であろうと、日本人の職人達が常にとってきたやり方なのです。

あなたの経歴は、今までお話を伺った、幼少期にSMに対する興味を発見していた縄師の方とは違いますね。殆どの方が、SM雑誌を読みながら成長し、それ故数多くの縄師の技の影響を受けるというケースが多かったのですが、あなたの場合は、大分遅くなってから縛りに触れ、即座に濡木先生の門をくぐったという訳ですね。

 

そうですね。勿論、他の縄師の技を理解する為に雑誌等でも研究はしましたが、実際、濡木先生にが唯一私に影響を与えた人です。古い雑誌で濡木先生の初期の仕事も研究しました。濡木先生がこれを聞いたらきっとお怒りになると思いますが、濡木先生が40歳代の頃にやってらっしゃった事と、私が今まさにやっている事は、とても似ていると思います。私も今まだ40歳代な訳ですが、この事は私に、いつか濡木先生と同じくらいに熟練できるかもしれないという希望になります。

ご自分のスタイルというものを開発していますか?

 

私は今でも濡木先生のスタイルで行っていますし、また彼のやり方を完璧にマスターしようと懸命に務めています。私の縄は正確、緻密で、またきつめのものですが_というのも私が緩い縄目に我慢が出来ないからなのですが_、濡木先生の真の技というものは、”くずし”の美学にあるのです。僅かな不規則さが、彼の緊縛をよりリアルな、生き生きとした、また学んだものではない自然なものに見せるのです。例えばこの写真を見て下さい_濡木先生はきちんと胸縄を揃えていません。もし素人がこれをやったら、だらしがない、もしくは間違いに見えるでしょう。ですが濡木先生がやると、彼の構図通り、完璧なテンションをもって、計算し尽くされた、熟考の末の作品になるのです。一度濡木先生が私に話してくれましたが、縄の表情をより良く引き出す様な僅かな不規則さをわざと創り出し、影や縄のきめを強調し、全体の構図をカメラがより良くとらえられる様にするのです。私にはそのような技量はありません。これを学ぶには一生を費やさなければいけないでしょうね。

貴重な、歴史的な情報をありがとうございます。あなたの話に戻りましょう。どのようにしてプロになったのですか?

 

緊美研の会合を通じて知り合った人の中に、シネマジックの社長で、横畠邦彦氏という方がいたのですが、緊美研で彼はずっと私を観察していました。思うに、彼が私の事を塗器先生にお話ししたのだと思います。いずれにせよ、彼は私のビデオの為に縄をやってみないかと、声をかけてくれたのです。私自身もビデオに出演する、という条件つきで。私には演技の経験が無かったので初めは断ったのですが、とりあえずやってみろと説得されました。思うに、彼は私の背中全体に入っている刺青を、ビデオ作品の中に収めたかったのだと、思います。

あなたの刺青の事を聞かせてください。とても印象的ですね。

 

私はずっと若い頃から刺青に興味があって研究していたんですが、私の父がとても厳格な人でそれを許さない事を知っていましたし、父に逆らいたくなかったのです。ですがその父が死後、私が30歳の時に、日本で有名な彫師のひとりである、彫徳に会いました。彼は私に墨を入れることに同意し、毎週通って、背中と肩を完全に埋め尽くす絵を完成させるのに一年半掛かりました。これは、主人公が鯉と闘っている、日本の昔話の有名な一場面です。”鬼若丸の鯉退治”と呼ばれています。

シネマジックでチャンスを得たという事ですが、それは十年程前のお話しですね?今はどのような活動をしていますか?

 

主に映像作品で縄師として活動していますね、年にビデオやDVDで200~300本程の仕事をしています。毎月の半分ほどは撮影活動で埋まっています。雑誌の為の緊縛はした事が無いですし、ショーも最近になって始めたばかりです。

ショーに興味を持ち始めたのは何故ですか?

 

ひとつは新しい観客と出会いたかったというのと、ひとつは違う事に挑戦してみようという気持ちからです。最初の頃から、自分がしたいショーの構想というものは頭の中にありました強そうな男が女性をリードしてステージに引っ張り出して来る、といったような始め方のショーを自分がしたくないのは分かっていました。モデルを連れてくるときは、私はモデルを紳士のように優しくエスコートします。素早く、アクロバティックな緊縛をしない代わりに、感情を込めてゆっくりと縛り、男が女を縛る時の、男女間の愛や感情、そういったものを全て伝えられるように努めます。ショーの中で私は、鞭や蝋燭などのSMプレイは一切やりません。ショーの時間全てを、縄を以て私が出来る全ての事に費やしたいからです。

あなたの緊縛の中では、日本の伝統的な道具だけが使われている事に気がついたのですが。

 

そうですね、私はカラナビや、フック、鉄製の物は使いません。吊りをする時には、吊り縄をかける為の道具として竹棒や仕込み縄を用意します。麻縄は七メートルの長さの物を使います。着衣の上から緊縛する時は六ミリの縄を使いますが、素肌の上には四ミリを使う事が多いですね、脚を縛る時や複雑な縛りをする時などは特にそうですね。

もしあなたのスタイルを学びたい人が居たら、何がベストな方法ですか?

 

アートビデオから出ている、『縄悦』シリーズをご覧になる事を薦めますね。このシリーズは本当に緊縛だけに集中して作られていますし、他のSM要素は全くありませんから。縛りに興味がある特定のマーケットに向けて制作された物なので、『縄悦』シリーズは全ての縛りを事細かく見せています。とても限られたマーケットですが、既にこのシリーズから六本も発売されているという事は、このシリーズがマーケットのユーザーを満足させる事に成功していると言えると思います。

このインタビューの初めの方で、あなたの人生は二度転機があったとお話ししてくれました。二度目の転機とは?

 

それは昨年でした。私が心臓発作を起こして、殆ど死ぬ寸前だった時です。一ヵ月入院し、その後回復に数カ月要しました。死に直面した事で、私は今まで自分がしてきた事を見直し、私にとって本当に重要なものに集中する機にもなりました。何よりも需要なのは、私にとって家族です。家族の存在で、私は仕事に集中できますし、縄の技術もより良いものになるのです。

先の十年でどのようになりたいですか?

 

頂点まで行きたいですね。頂点があるかどうかは分かりませんが。世界一の縄師になりたいと思います。

一緒に仕事をしたいと思う人は居ますか?コラボレーションをしたいと思う人は?

 

そうですね、ヴァイオリンの生演奏で緊縛ショーをやってみたいと思っていました。なので夢のコラボレーションとしては、ヴァイオリニストの河井郁子さんですね。彼女はあまりにも有名なので、とても叶う筈も無い夢かもしれませんが。でも、彼女がヴァイオリンを弾いている時の表情は、まさに縛られている女性の表情そのものなんですよ。だから彼女をとても好きなのですけど。

 

Back in 2006, Osada Steve had the honor to interview Naka Akira, one of the younger Nawashi at work in Japan today. What follows is an English summary of their discussion.

Osada Steve: Please tell us how you first got interested in Shibari.

Naka Akira: They say that everyone has a turning point in their lives. I’ve had two. The first was when I was about 30 and running a porn model agency. One of our actresses was doing work for Cinemagic, a well-known SM video production company, and I happened to attend one of her video shoots. Although I thought I had absolutely no interest in SM, I suddenly realized that I had been in denial of my dominant nature all my life. Up to that point my take on SM had been like, “What? Tying up a woman and doing things to her? What kind of a person would do that?”

Something about that video shoot must have been really impressive to cause such a 180-degree turn.

You’re right. I was totally blown away by the rope work I saw there. The Nawashi doing the bondage that day was Nureki Chimuo.

And watching Nureki at work is when you decided to become a Nawashi?

No, no — I never thought I could do anything like that myself. I never thought it could ever be my work. But Nureki noticed my unusual level of interest at that shoot, and invited me to attend Kinbiken, his rope bondage study circle. I became a regular participant for the next five years.

You were much more than a participant in the Kinbiken meetings, weren’t you? Didn’t you become a formal Deshi (disciple) of Nureki?

Yes. I think I am the only person Nureki recognizes as his true Deshi.

Please tell us about that relationship. Did you receive formal instruction from Nureki?

No. It was very much a traditional Japanese master-disciple relationship in that he never actively taught me anything. Everything I learned from him I had to learn on my own, by watching. I attended the Kinbiken meetings for over a year before he even allowed me to untie one of the women he had tied up, which is of course a great way to learn how the tie is done.

You have two Deshi of your own, one of whom is sitting with us now. Do you treat them the same way?

I’ll correct them if they are doing something dangerous, but basically I conduct our relationship in the traditional manner. If the disciple wants knowledge, he has to “steal” it. The teacher doesn’t just hand it over. This is the way master-disciple relationships are conducted in all the Japanese artisan fields, whether it’s a traditional craft or fine cooking.

You are different from most of the Nawashi we’ve talked to, who generally discovered their interest in SM while still in elementary school. They grew up looking at SM magazines and were therefore exposed to the work of many different rope masters. But you came to Shibari much later, and went immediately to Nureki’s side.

That’s true. Of course I’ve looked through magazines to understand the work of other Nawashi, but in truth, Nureki is my only influence. I spent quite a bit of time searching out old magazines with his early work. He’d probably get angry if he heard me say this, but I think the work he was doing when he was in his forties is almost identical to what I do now. Since I’m still in my forties, that gives me hope that someday I might be as good as he is.

Are you developing your own style?

I am still working very much in Nureki’s style, and trying very hard to master what he does. My rope work is clean, precise and very tight, because I can’t stand loose ropes. But the true art in Nureki’s work is the Kuzushi — the small irregularities that make his bondage look real, alive and unstudied. For example, look at this photo — he doesn’t have the chest ropes lined up neatly. If an amateur did that, you’d say it was sloppy work, or a mistake. But when Nureki does that he’s got the tension perfect and it’s calculated and deliberate, part of his master plan. For example, he once told me he might do something a little irregular in order to better bring out the character of the rope for the camera, emphasizing the shadows and texture of the rope so the entire composition looks better. I don’t have that kind of command of the rope. Learning to do that will probably take me my entire life.

Thank you for that interesting historical information. Let’s get back to you. How did you turn professional?

One of the people I came to know through the Kinbiken meetings was the president of Cinemagic, Yokobatake Kunihiko. He had been observing me at the Kinbiken meetings, and I think he spoke to Nureki about me. In any case, he offered me the opportunity to do the rope work for a video, but on one condition — that I also appear on camera. I had no acting experience whatsoever and initially refused, but he convinced me to give it a try. I think he wanted me on camera in part because I have extensive tattoos, and he wanted them in the film.

Please tell us about your tattoos. They’re quite impressive.

I was interested in tattoos from a very young age, but I knew my father wouldn’t approve and I didn’t want to offend him. But after he died, when I was 30, I went to see Horitoku, one of the top tattoo artists in Japan. He agreed to work on me, and it took a year and a half of weekly visits to complete the tattoo that completely covers my back and shoulders. It’s a famous scene from a Japanese legend, of a hero battling a carp. It’s called Oniwakamaru no Koi Taiji.

So you got your break in a Cinemagic video. That was about ten years ago, right? And what kind of work are you doing now?

I work almost exclusively in audio-visual, making 200 to 300 videos and DVDs a year. I am actively filming about half of every month. I’ve done almost no magazine work, and I never used to give life performances until very recently.

What made you become interested in starting to do shows?

Part of it was that I wanted to reach a new audience, and part of it was to challenge myself by doing a different kind of work. From the beginning, I had very specific ideas about what kind of show I wanted to do. I knew I didn’t want to do the sort of tough-guy posturing where the guy pulls the woman out on stage on a leash. When I bring my model out, I escort her, like a gentleman. And I knew I didn’t want to do fast, acrobatic rope work. Instead, I work slowly and with feeling, and try to convey all the love and emotion that passes between a man and a woman when he’s tying her up. I don’t do any other kind of SM play in my shows, like using whips or candles, because I want to use the time showing what can be done with just rope.

I’ve noticed that you use only traditional materials in your bondage.

That’s correct. I don’t use carabiners, hooks or metal of any kind. When I’m doing suspension, I use only bamboo rods or rope contraptions to attach the suspension lines.
I use Asanawa [jute rope]in 7-meter lengths. If I’m tying over clothing I use 6-mm rope, but on bare skin I’m more likely to use 4-mm rope, particularly when I’m tying legs or doing intricate ties.

If someone wanted to study your style, what would be the best way to do this?

I’d recommend looking at my Nawa-etsu [Rope Joy] series from Art Video. These productions are devoted completely to rope bondage and don’t have the distraction of other kinds of SM play. Because they are pitched to a very specific market of people who are really interested in Shibari, the Nawa-etsu series all show the rope work in great detail. It’s a small market, but the fact that we’ve been able to make six films in this series so far must mean that we are satisfying that market’s needs.

You said earlier that you’ve had two turning points in your life. What was the other?

The other was last year, when I suffered a severe heart attack and very nearly died. I spent a month in the hospital and many months after that recuperating. Facing death like that made me reevaluate everything I was doing, and helped me focus on the things that are most important to me, first and foremost of which is my family. It also helped me focus on my work, and my rope technique got much better.

Where would you like to be in ten years?

At the top. I’d like to be the best Nawashi in the world.

Is there someone you’d really like to work with? What is your dream collaboration?

For some time now, I’ve thought I’d like to a rope bondage show to live violin music. So my dream collaboration would be with violinist Kawaii Ikuko. She is a professional and very famous, so I’m sure it’s totally out of the question that she’d ever collaborate with me. But her face when she is playing the violin is exactly like the face of a woman being tied up. That’s why I like her so much.

(English summary by Alice Liddell)

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